2015年12月4日金曜日

4 「血清療法」北里柴三郎♪

1890年12月4日に、北里 柴三郎とエミール・アドルフ・フォン・ベーリングは共著で「ジフテリアと破傷風の免疫の成立について」(ドイツ医学週報49号)を発表♪




ベーリングは同じくドイツ医学週報50号に単独で、ジフテリアについてのデータを発表した。1901年、ベーリング「ジフテリアに対する血清療法の研究」で第一回ノーベル生理学・医学賞を受賞したんだ。


北里が受賞できなかったのは、ジフテリアについてのデータがベーリング単独の発表だったこと、ノーベル賞委員会は、血清療法はベーリングのアイデアで北里はデータを提供しただけとみなしたこと、賞創設最初の選考で共同授賞の考え方がまだなかったことなどが要因だったらしい。




この論文自体、世界的に非常に高く評価され、北里は多くの欧米各国の研究所、大学から招聘を受けたんだけど、「国費留学の目的は日本の脆弱な医療体制の改善と伝染病の脅威から国家国民を救うことである」と、招きを固辞して帰国したんだって♪















Baron Kitasato Shibasaburō was a Japanese physician and bacteriologist during the prewar period. He is remembered as the co-discoverer of the infectious agent of bubonic plague in Hong Kong in 1894, almost simultaneously with Alexandre Yersin.

Kitasato was nominated for the Nobel Prize in Physiology or Medicine in 1901, Kitasato and Emil von Behring working together in Berlin in 4 December 1890 announce the discovery of diphtheria antitoxin serum, Von Behring was awarded the 1901 Nobel Prize because of this work, but Kitasato was not.

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