2015年11月30日月曜日

30 「トム・ソーヤ」水深3.6m♪

1835年11月30日 は、「トム・ソーヤの冒険」の著者マーク・トウェイン、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズの生まれた日♪


      ↓ サミュエル・ラングホーン・クレメンズ 16才




マーク・トウェインは、アメリカ合衆国の作家、小説家。「トム・ソーヤの冒険」の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界的に人気のある作家。


フォークナーは「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と記した。


ヘミングウェイも「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と述べている。


                                                        ↓ 釣をするトム・ソーヤ


「マーク・トウェイン」というペンネームは、少年時代、蒸気船で働いてて覚えた「合図」からつけたんだ♪ 蒸気船が航行する際の水先人への合図は  “by the mark, twain”(水深約3.6m)っていうんだって。 これは蒸気船が座礁せず通航できる限界の浅さのこと。



ちなみに、彼の生まれた年にハレー彗星が観測されたので、常々「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、 "go out with it", ハレー彗星と共に去っていくだろう」と言っていて、その通りにハレー彗星が現れた日に亡くなった。










Samuel Langhorne Clemens (November 30, 1835 – April 21, 1910),  better known by his pen name Mark Twain, was an American author and humorist. He wrote The Adventures of Tom Sawyer (1876) and its sequel, Adventures of Huckleberry Finn (1885), the latter often called "The Great American Novel".


Twain was born shortly after a visit by Halley's Comet, and he predicted that he would "go out with it", too. He died the day after the comet returned. He was lauded as the "greatest American humorist of his age", and William Faulkner called Twain "the father of American literature".

2015年11月29日日曜日

29 「若草物語」オルコット♪

1832年11月29日は、「若草物語(Little Women)」の作者オルコットの生まれた日♪


      ↓ Louisa May Alcott 記念切手、1940年発行




ルイーザ・メイ・オルコットは、著名な超越主義者(Transcendentalist)であるエイモス・ブロンソン・オルコットの娘であり、現在のペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれた。



原題の「
Little Women(リトル・ウィメン)」は、著者の父親が実際に娘たちをそう呼んでいて、娘達を単なる幼い少女ではなく、尊重されるべき一人の女性という意味合いで用いていたんだ♪



ルイーザ・メイ・オルコットの小説家としての大成功は、1868年の「若草物係」が発表された時から始まったんだ♪ 


物語は、オルコット自身が姉妹達と一緒に過ごした少女時代をもとにした自伝的な話なんだ。ジョーのキャラクターはオルコット自身をモデルにしたものだったんだけど、オルコットはジョーとちがって生涯結婚しなかった。




     ↑ 「若草物語」は何度か映画化されていて、
       1949年度版ではエリザベス・テーラーがエイミーを演じてるんだ






Louisa May Alcott ( November 29, 1832 – March 6, 1888) was an American novelist and poet best known as the author of the novel Little Women (1868) and its sequels Little Men (1871) and Jo's Boys (1886). Raised by her transcendentalist parents, Abigail May and Amos Bronson Alcott in New England, she grew up among many of the well-known intellectuals of the day such as Ralph Waldo Emerson, Nathaniel Hawthorne, and Henry David Thoreau.


Published in 1868, Little Women is set in the Alcott family home, Orchard House, in Concord, Massachusetts and is loosely based on Alcott's childhood experiences with her three sisters. The novel was very well received and is still a popular children's novel today, filmed several times. Alcott was an abolitionist and a feminist and remained unmarried throughout her life. She died in Boston on March 6, 1888. Henry James called her "The novelist of children... the Thackeray, the Trollope, of the nursery and the schoolroom."

2015年11月28日土曜日

28 「天路歴程」バニヤン♪

1628年11月28日は、「天路歴程」著者バニヤンの生まれた日♪


ジョン・バニヤンは、イギリスの教役者、文学者。家は貧しく、ごく基本的な教育しか受けられなかった。



21才の時、信仰心厚い娘と結婚する。彼女の持参金はわずか本2冊だけ、アーサー・デントの Plain Man's Pathway to Heaven とルイス・ベイリーの Practice of Piety だった。バニヤンはこの本に影響されて信仰の道に進むんだ♪

伝道者となったバニヤンは「資格がないのに伝道した」と投獄されてしまう。この獄中で書いたのが「天路歴程」なんだ。これは1678年に出版されて以来、200 以上の言語に翻訳されて、今日まで一度も絶版になったことが無いんだって。


この物語は「破滅の町」に住んでいたクリスチャンという男が、「虚栄の市」や破壊者アポルオンとの死闘など様々な困難を通り抜けて「天の都」にたどり着くまでの旅の記録なんだ。


クリスチャンが人生において経験する葛藤や苦難、そして理想的な姿へと成長する過程を表現している史上最も広く読まれている寓話といわれているんだ



   ↓ Christian enters the Wicket Gate, opened by Goodwill.
     Engraving from a 1778 edition printed in England.(↓第1778版の挿絵)



ちなみに、大英博物館やニューヨーク公立図書館には、ジェームズ・レノックスが収集した「天路歴程」のさまざまな版が収められているんだって♪






John Bunyan ( 30 November 1628 – 31 August 1688) was an English writer and Baptist[1] preacher best remembered as the author of the religious allegory The Pilgrim's Progress. In addition to The Pilgrim's Progress, Bunyan wrote nearly sixty titles, many of them expanded sermons.


The Pilgrim's Progress from This World to That Which Is to Come; Delivered under the Similitude of a Dream is a Christian allegory written by John Bunyan and published in February, 1678. It is regarded as one of the most significant works of religious English literature, has been translated into more than 200 languages, and has never been out of print.


2015年11月27日金曜日

27 ツァラトゥストラどう語る♪

1896年11月27日に、フランクフルトで、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」が作曲者指揮にて初演された♪


この曲は、ニーチェの同名の著作の印象を表現している。当時としては斬新な曲調に初演は賛否両論だった。



     リヒャルト・シュトラウスと妻子/悪妻として有名らしい(笑



72年後の1968年、映画「2001年宇宙の旅」の冒頭でこの曲が使われて、映画の大ヒットとともにこの曲も、世界的に有名になったんだ。映画の演奏は、実は巨匠カラヤンが指揮、ウィーン・フィルハーモニーが演奏した超名盤♪


当初それを伏せていたため、映画の大成功とともに他社が競ってこの曲を売り出したので、最初のレコード会社は大損したんだって(笑










Also sprach Zarathustra is a tone poem by Richard Strauss, composed in 1896 and inspired by Friedrich Nietzsche's philosophical novel of the same name. The composer conducted its first performance on 27 November 1896 in Frankfurt. A typical performance lasts half an hour.

2015年11月26日木曜日

26 ポントカサステ水路橋完成♪

1805年11月26日に、ポントカサステ水橋が完成した♪




これは英国でもっとも長く、もっとも高い水橋なんだ。橋は水道橋とちがって、小さい船が通れるんだヨ♪


         ↑ 水路橋の上から見た風景


イギリス・ウェールズにある航行可能な水路橋ということで、世界遺産にも登録されてる。年間、のべ10,000艘の運河船(ナローボート)↓ が航行し、25,000人以上の歩行者が渡ってるんだ。


通路は片側だけで、水路側の端にはなんと、手すりがない。水路のへりは水面から15センチしかないのでナローボートよりも下になり、船の上にいる人からは水路のへりが見えないので、まるで空中を進んでいるみたいでスリル満点なんだって(笑 





The Pontcysyllte Aqueduct (Traphont Ddŵr Pontcysyllte) is a navigable aqueduct that carries the Llangollen Canal over the valley of the River Dee in Wrexham County Borough in north east Wales. Completed in 26 November 1805, it is the longest and highest aqueduct in Britain, a Grade I Listed Building and a World Heritage Site.

2015年11月25日水曜日

25 「マウストラップ」初演♪

1952年11月25日に、有名な推理劇「マウストラップ」初演♪



イギリスの推理作家アガサ・クリスティの「マウストラップ(ねずみとり)」は、初演以来現在まで続いている、世界で最も長い連続上演の記録をもっている推理劇なんだ♪


1952年の初演以来ロングランを続け、2012年には上演回数が25000回を超過したんだヨ!


もともとは王太后メアリー・オブ・テックの80歳の誕生日を祝うBBCのラジオドラマとして、アガサ・クリスティが執筆したんだ。それを後にクリスティが舞台劇に書き直した。



推理劇だから、カーテンコールの際に結末を漏らさないように観客にお願いをしているし、慣れで演技しないよう定期的に役者や演出家を入れ替えているんだ♪


観客にはリピーターが多く、子供の頃観た観客が2度目には自分の子供を連れて観に来るんだって♪ 




The Mousetrap is a murder mystery play by Agatha Christie. The Mousetrap opened in the West End of London in 25 November 1952, and has been running continuously since then. It has by far the longest initial run of any play in history, with its 25,000th performance taking place on 18 November 2012. It is the longest running show (of any type) of the modern era. The play is also known for its twist ending, which the audience are traditionally asked not to reveal after leaving the theatre.

2015年11月24日火曜日

24 小柄だが偉大なロートレック♪

1864年11月24日は、画家ロートレックの生まれた日♪

        ↓ポスター『ディヴァン・ジャポネ』1892年


アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥルーズ=ロートレック=モンファは、南仏のアルビで生まれる。生家は、フランスの伯爵家なんだ。祖先は9世紀のシャルルマーニュ時代までさかのぼるんだって♪



1882年にパリに来て、レオン・ボナの画塾や、モンマルトルにあったフェルナン・コルモンの画塾に移った。この画塾でゴッホや、ベルナールと出会ってるんだ。



1885年頃のコルモン画塾。↓手前左端の帽子を被った人物がロートレック。その右上のカンヴァスに向かう人物がコルモン。



作品には「ムーラン・ルージュ」など、ポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた、美術史上に特筆されるべき存在と評価は高い。足に障害があり小柄だったけど、「小さき男、偉大なる芸術家」と評されたんだヨ(笑


当時流行っていた日本美術からも強い影響を受けていて、自身のイニシャルを漢字のようにアレンジしたサインも用いたんだ♪ 


            ↓ロートレックのサイン





Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa (24 November 1864 – 9 September 1901), also known as Henri de Toulouse-Lautrec was a French painter, printmaker, draughtsman and illustrator whose immersion in the colourful and theatrical life of Paris in the late 19th century yielded a collection of exciting, elegant and provocative images of the modern and sometimes decadent life of those times. Toulouse-Lautrec is among the best-known painters of the Post-Impressionist period, a group which includes Cézanne, Van Gogh and Gauguin. In a 2005 auction at Christie's auction house, a new record was set when La blanchisseuse, an early painting of a young laundress, sold for US$22.4 million.

2015年11月23日月曜日

23 マイヨール100m潜水♪

1976年11月23日に、ジャック・マイヨールがエルバ島で、100メートル以上の素潜りの記録をつくった♪



これは、人類史上初めての記録なんだ。ジャック・マイヨールは、この時49歳だった♪ 彼は、5年後105メートルまで前人未到の記録を延ばす。


1983年に母親の葬儀にマルセイユに行った際に、映画監督リュック・ベッソンと出会う。10代からダイビングに親しんできたベッソン監督は、長年の夢だった「イルカに魅せられたダイバーの物語」を、自伝の当事者である天才ダイバーのジャック・マイヨールの協力を得て映画化したんだヨ♪ 


この映画「グラン・ブルー」は、若者達の絶大な支持を集め、映画館前は長蛇の列。フランス国内の観客動員数は1000万人、パリでは187週連続上映という記録を打ちたてた。彼らは「Grand Bleu Generation」と呼ばれ、社会現象にもなったんだヨ♪




Jacques Mayol (April 1, 1927 – December 22, 2001) was the holder of many world records in free diving.

Jacques Mayol was a French national born in Shanghai, China. He was the first free diver to descend to 100 meters (330 ft) (November 23, 1976), and he managed to descend to 105 meters when he was 56 years old. During the scientific research phase of his career, he tried to answer the question of whether man had a hidden aquatic potential that could be evoked by rigorous physiological and psychological training.

The film The Big Blue, directed by Luc Besson in 1988, was inspired by his life story (and the life story of the Italian diver Enzo Maiorca); Mayol was one of the screenwriters.

The Big Blue (released in some countries under the French title Le Grand Bleu) is a 1988 English-language film in the French Cinéma du look visual style, made by French director Luc Besson. The film is a heavily fictionalized and dramatized story of the friendship and sporting rivalry between two leading contemporary champion free divers in the 20th century: Jacques Mayol (played by Jean-Marc Barr) and Enzo Maiorca (renamed to "Enzo Molinari" and played by Jean Reno), and Mayol's fictionalized relationship with his girlfriend Johana Baker (played by Rosanna Arquette).



2015年11月22日日曜日

22 ラヴェルのボレロ初演♪

1928年11月22日にパリ・オペラ座において、ラヴェルのボレロが初演された♪




「ボレロ」は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが作曲したバレエ音楽。現代でもバレエの世界に留まらず広く愛される音楽の一つなんだ。


バレリーナ、イダ・ルビンシュタインの依頼で、スペイン人役のために作曲された。スペインの民族舞踊という依頼なのに、作曲過程でカスタネットは抹消され民族色は無くなっちゃった(笑



「ボレロ」は大成功で、世界で演奏される人気曲となった。一流オーケストラは「ボレロ」の演奏を拒否するだろうと考えていたラヴェルをおおいに驚かせた♪




映画「愛と哀しみのボレロ」のジョルジュ・ドンによるボレロの振付は、日本で初めて、パフォーマンスとしての知的財産権を有していて、許可なくこの振付で踊ることは許されないんだ。









Boléro is a one-movement orchestral piece by Maurice Ravel (1875–1937). Originally composed as a ballet commissioned by Russian actress and dancer Ida Rubinstein, the piece, which premiered in 1928, is Ravel's most famous musical composition.The composition was a sensational success when it was premiered at the Paris Opéra on 22 November 1928, with choreography by Bronislava Nijinska and designs by Alexandre Benois. The orchestra of the Opéra was conducted by Walther Straram. Ernest Ansermet had originally been engaged to conduct during the entire ballet season, but the musicians refused to play under him. A scenario by Rubinstein and Nijinska was printed in the program for the premiere:[3]

2015年11月21日土曜日

21 表現の自由ヴォルテール♪

1694年11月21日 は、フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家であるヴォルテールことフランソワ=マリー・アルエの生まれた日♪





「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」の言葉は、表現の自由、言論の自由の原則を示した名文句として有名。


だけど、実はこの言葉はヴォルテールの著作にはみあたらなくて、後世の研究家タレンタイアの著作「ヴォルテールの友人」の部分翻訳らしい(笑 まあ、彼の思想を端的に現してて、いいと思う♪



ヴォルテールという名はペンネームのようなもので、「ヴォロンテール」(意地っぱり)という小さい頃からのあだなをもじった等、諸説ある。





François-Marie Arouet ( 21 November 1694 – 30 May 1778), known by his nom de plume Voltaire ), was a French Enlightenment writer, historian, and philosopher.

“I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it” was his attitude now.

2015年11月20日金曜日

20 エリザベス王女結婚♪

1947年11月20日に、ウェストミンスター寺院にて、フィリップ王子とエリザベス王女(現女王)が結婚されたんだ♪



遠い親戚関係だった二人が出会った当時、王女は13歳、王子は18歳だった。王子はテニスコートのネットを飛び越えてみせ、王女を楽しませたんだ。ひとめぼれしたエリザベス王女は、それから文通を開始。8年間育んだ初恋を実らせて、結婚したんだヨ♪


            ↓ 若き日のフィリップ王子♪



フィリップ王子は、ギリシャとデンマークの王位継承権をもっていたけど、婚約前に放棄したんだ。


1952年ジョージ6世が崩御したとき、夫妻はケニアで樹の上に設置された観測所で、野生動物を観察していたんだ。だから、「王女として木に登られ、女王として木から降りられた」と報じられたんだって(笑


            ↓戴冠式のご夫妻









Elizabeth and Philip were married on 20 November 1947 at Westminster Abbey. They received 2500 wedding gifts from around the world. Because Britain had not yet completely recovered from the devastation of the war, Elizabeth required ration coupons to buy the material for her gown, which was designed by Norman Hartnell. In post-war Britain, it was not acceptable for the Duke of Edinburgh's German relations, including his three surviving sisters, to be invited to the wedding.  The Duke of Windsor, formerly King Edward VIII, was not invited either

2015年11月19日木曜日

19 人民の、人民による♪

1863年11月19日は、リンカーンがゲティスバーグ演説した日♪

ゲティスバーグ演説は、「人民の、人民による、人民のための政治」で有名。ゲティスバーグの国立戦没者墓地の奉献式において、アメリカ合衆国大統領リンカーンが行った演説なんだ。



現存するものとして唯一のゲティスバーグでのリンカーン到着時の写真↑


奉献式でエドワード・エヴァレットが2時間の大演説をしたあとに、リンカーンが約2分間のごく短いスピーチをした。


この日ゲティスバーグにはカメラマンもいたんだけど、リンカーンの演説が始まってることにカメラマンは気づかず、撮ろうとした時にはもう終わっていたんだって(笑


そのためこの歴史的演説を行っているリンカーンの写真は存在しないんだ。また演説そのものはリンカーンが祈るような小さな声で述べ、だれも注目しなかったんだけど、たまたま書き留めていた記者が記事にして後日有名になったんだ♪


ちなみに1946年、GHQ最高司令官のマッカーサーは、日本憲法草案前文に、このゲティスバーグ演説の有名な一節を織り込んだ。


Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people./GHQによる憲法草案前文。


この一文がそのまま和訳され、日本国憲法の前文の一部となった。↓


そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。/日本国憲法前文(一部)





The Gettysburg Address is a speech by U.S. President Abraham Lincoln, one of the best-known in American history.It was delivered by Lincoln during the American Civil War, on the afternoon of Thursday, November 19, 1863, at the dedication of the Soldiers' National Cemetery in Gettysburg, Pennsylvania, four and a half months after the Union armies defeated those of the Confederacy at the Battle of Gettysburg.

2015年11月18日水曜日

18 写真技術の父♪


1787年11月18日は、写真技術を完成したダゲールの生まれた日♪ 


ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは写真の研究の前は、パリで舞台背景画家・パノラマ画家・ジオラマ作家として活躍していた。先に写真を研究していたニセフォール・ニエプスとともにカメラの研究を開始。ニエプスはヘリオグラフィーを発明し、世界最初の写真を撮ったんだけど、露光時間が8時間もかかるから、実用にならなかった。


ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、1839年に銀板写真法を発表した。露光時間も1-2分にまで短くでき、肖像写真など撮影できるようになった。


                            ダゲールが自分で撮った写真↓

当時、フランスを代表する科学者フランソワ・アラゴが、写真技術を認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ終身年金を支給することで、写真技術を一般に公開したんだ。


その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及した♪


1838年にパリでダゲールにより取られた写真。↑ 露出時間の関係で動くものは写っていないんだけど、左下に靴磨きとブーツを磨かせている人は、写っているんだヨ♪








Louis-Jacques-Mandé Daguerre (18 November 1787 – 10 July 1851) was a French artist and photographer, recognized for his invention of the daguerreotype process of photography. He became known as one of the fathers of photography. Though he is most famous for his contributions to photography, he was also an accomplished painter and a developer of the diorama theatre.

2015年11月17日火曜日

17 スエズ運河開通♪

1869年11月17日は、スエズ運河が開通した日♪


スエズ運河は、エジプトのスエズ地峡に位置し、地中海と紅海を結ぶ、海面と水平な人工運河なんだ。このスエズ運河を通れば、アフリカ大陸をぐるっと回りこまずにヨーロッパとアジアが行き来できるんだ。


スエズ運河は南北どちらかの一方通行で運営され、船のすれ違いはバッラ・バイパス (Ballah By-Pass) やグレートビター湖など4ヶ所で行う♪ 


     ↓ 行き違いのためにバッラ・バイパスに停泊する船


スエズ運河は通れる船のサイズが決まっていてスエズマックスと呼ばれているんだ。これを超過する船はアフリカ回航するしかなく、スエズマックスを超過する船は、ケープサイズと呼ぶんだ。


でも、21世紀になって、ソマリア沖の海賊を避けるためや高い通行料が負担になって、アフリカ航路の船が増えたんだって。


ちなみに、スエズ運河を泳いで横断する場合にも通行料がかかるんだ。

実際に泳いで横断した者もいたんだヨ(笑


2015年には運河の拡張により、運河の大半の区間で船が同時に双方向に航行することができるようになったんだ。これにより1日に運河を通航できる船の数が49隻から97隻に増加したんだ♪







The Suez Canal is an artificial sea-level waterway in Egypt, connecting the Mediterranean Sea to the Red Sea. Opened 17 November 1869, after 10 years of construction, it allows ships to travel between Europe and South Asia without navigating around Africa thereby reducing the sea voyage distance between Europe and India by about 7,000 kilometres (4,300 mi).

2015年11月16日月曜日

16 カエサルのものはカエサルに

紀元前42年11月16日は、ローマ帝国の第2代皇帝ティベリウス・ユリウス・カエサルの生まれた日♪


イエス・キリストが世に出、刑死したときのローマ皇帝なんだ。


イエスの言葉である「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」の「カエサル」とは、このティベリウスのことを指しているんだ。


謀反を企てた親衛隊長セイヤヌスを打ち、その63人もの一派を粛清して、恐怖政治となってしまった。治世前半は善政だったんだけどね。77歳で病没したとき、彼の死はローマ市民に歓呼をもって迎えられたんだって。




ちなみに、新約聖書のルカの福音書によるとティベリウスの治世15年に、バプテスマのヨハネが現われ、ついでイエス・キリストの公生涯が始まったと記されている。また、聖書に登場するガリラヤ湖畔の町テベリヤは、この皇帝ティベリウスにちなんだ地名なんだって♪




Tiberius (16 November 42 BC – 16 March 37 AD) was a Roman Emperor from 14 AD to 37 AD. Born Tiberius Claudius Nero, a Claudian, Tiberius was the son of Tiberius Claudius Nero and Livia Drusilla. His mother divorced Nero and married Octavian, later known as Augustus, in 39 BC, making him a step-son of Octavian.



2015年11月15日日曜日

15 大輪を描くオキーフ♪

1887年11月15日は、20世紀のアメリカを代表する女性画家、ジョージア・オキーフの生まれた日♪





オキーフは、70年間の長い画歴のほとんどを費やして、花、風景、動物の骨を描いたんだ♪   画面いっぱいに拡大して描いた花の作品群が特に有名♪



オキーフはすでに著名になっていた1939年に、ドール・パイナップルジュース(現ドール社)の広告の仕事でハワイに行った。


条件は、3ヶ月ハワイに滞在してパイナップルの絵を描くこと。


南国の景色は素晴らしく、彼女はひたすらハワイの花と風景を描くことに没頭した。

だけど、ドール・パイナップルからの依頼を無視して、一枚もパイナップルを描かなかったんだ(笑


広告会社からの強い要望で、ハワイから帰ってきて描いたのが「ヘリコニア」と「小さなパイナップルの実」↓ だった。この2作品は広告に採用されたけど、ハワイで描いた作品ではなかったんだ♪ 










Georgia Totto O'Keeffe (November 15, 1887 – March 6, 1986) was an American artist. She is best known for her paintings of enlarged flowers, New York skyscrapers, and New Mexico landscapes. O'Keeffe has been recognized as the "Mother of American modernism".

In 1938, the advertising agency N. W. Ayer & Son approached O'Keeffe about creating two paintings for the Hawaiian Pineapple Company (now Dole Food Company) to use in their advertising.Other artists who produced paintings of Hawaii for the Hawaiian Pineapple Company’s advertising include Lloyd Sexton, Jr., Millard Sheets, Yasuo Kuniyoshi, Isamu Noguchi, and Miguel Covarrubias. The offer came at a critical time in O’Keeffe’s life: she was 51, and her career seemed to be stallion. She arrived in Honolulu February 8, 1939, aboard the SS Lurline, and spent nine weeks in Oahu, Maui, Kauai, and the island of Hawaii. She painted flowers, landscapes, and traditional Hawaiian fishhooks. Back in New York, O’Keeffe completed a series of 20 sensual, verdant paintings. However, she did not paint the requested pineapple until after the Hawaiian Pineapple Company sent a plant to her New York studio.