2016年2月19日金曜日

19 地動説とコペルニクス♪

1473年2月19日は、天文学者、司祭で、地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスのうまれた日♪




ヤン・マテイコによるコペルニクスの肖像「コペルニクス: 神との対話」



コペルニクスは、1473年にトルンで生まれた。生家は旧市街広場の一角にある。10歳の時、裕福な商売人だった父親が亡くなり叔父であるルーカス司祭が、コペルニクスを育てた。



コペルニクスの生家



1495年に学業を終えると、叔父の希望でヴァルミアの律修司祭の職につき、1496年からボローニャ大学に留学、さらにパドヴァ大学で医学を学んだ。帰国したコペルニクスは、聖職者また医師として多忙な日々を送りつつ天体観測を続けた。



1510年、コペルニクスは「コメンタリオルス」を発行し、「地動説」をはじめて論文にした。これは数人の友人の数学者に送られた同人誌だった。コペルニクスは当初、「地動説」を公に発表するつもりは全く無かったが、「地動説」は友人たちを通じてかなり知られるようになっていった。



1542年に、ようやくコペルニクスが重い腰をあげて、著書「天体の回転について」の草稿を完成させた。しかし、その年の11月に脳卒中で倒れ、半身不随となってしまった。校正刷りが彼のもとに届いたのは、死の当日だったという。1543年5月24日、コペルニクスは70歳でこの世を去った。








1616年、ガリレオの裁判が始まる直前、コペルニクス著書「天体の回転について」はローマ教皇庁で閲覧が停止された。 ただし禁書扱いにはならず、数年後に再び閲覧が許可されるようになったという。

















Nicolaus Copernicus (19 February 1473 – 24 May 1543) was a Renaissance mathematician and astronomer who formulated a model of the universe that placed the Sun rather than the Earth at the center of the universe. The publication of this model in his book De revolutionibus orbium coelestium (On the Revolutions of the Celestial Spheres) just before his death in 1543 is considered a major event in the history of science, triggering the Copernican Revolution and making an important contribution to the Scientific Revolution.

Copernicus was born and died in Royal Prussia, a region that had been a part of the Kingdom of Poland since 1466. He was a polyglot and polymath who obtained a doctorate in canon law and also practiced as a physician, classics scholar, translator, governor, diplomat, and economist. Like the rest of his family, he was a third order Dominican. In 1517 he derived a quantity theory of money – a key concept in economics – and in 1519 he formulated a version of what later became known as Gresham's law.

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