17 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺♪
1867年9月17日は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の名句で知られる正岡子規のうまれた日♪
正岡子規は、英語が苦手だったので、試験の際にカンニングをしたことがあるんだって。"judiciary"の意味がわからなくて、隣にいた人に意味を聞いたら「ほうかん」と言われた。「法官」と言ったんだけど、「幇間(太鼓持ち)」だと思ってその意味を解答用紙に書いてしまった! 太鼓持ち(笑
ちなみに、子規はこの試験に合格したんだけど、カンニングの手伝いをした人は不合格だったんだって(笑 松山に漱石が居た時に鰻丼を奢ると誘って、代金を漱石に払わせたり、けっこうちゃっかりしてるんだ(笑
子規が東京帝国大学入学後、哲学専攻をやめたのにも理由があるんだ。夏目漱石の親友の米山保三郎と話をして、「哲学というのはわけがわかんらんぞなもし。わしには手に負えん。」と驚嘆して諦めたんだって(笑
本来、毎月や月ごとなどを意味する「月並み」という言葉が、『陳腐、平凡』という意味も含んだのは、正岡子規がありふれた俳句や短歌を「月並み調」と批判したことが始まりなんだって。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の名句は、療養生活の工面をしてくれた漱石の作「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」の句への返礼の句なんだ。 お礼の句のほうが有名になるなんて、やっぱちゃっかりしてる?(笑
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