2016年2月10日水曜日

10 ドクトルジバゴとノーベル賞♪

1890年2月10日、「ドクトル・ジバゴ」作者のパステルナーク誕生♪






ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークは「ドクトル・ジバゴ」の作者として名高いロシアおよび旧ソ連の詩人、小説家、翻訳者。翻訳した「シェークスピア」や、著作「ドクトル・ジバゴ」は旧ソ連で発禁となった。


「ドクトル・ジバゴ」は密かに国外に持ち出され、1957年にイタリアで刊行され、後に映画化された♪ モーリス・ジャールによる挿入曲「ラーラのテーマ」が有名。米アカデミー賞で5部門を受賞している




パステルナーク(左)と弟。レオニード・パステルナーク画


パステルナークは、ユダヤ系の画家レオニード・パステルナークを父に、ピアニストのローザ・カウフマンを母にモスクワに生まれる。


トルストイは家族の親しい友人だった。父親がトルストイの「復活」の挿絵に熱心に取り組んでいたことをパステルナークはエッセイに綴っている。「私は、正式な鉄道制服を着た車掌が質素な台所のドアの横に立って待っている姿に心打たれた。彼はまるで出発する客車を見送るかのように、直立して挿絵が完成するのを待っていた。イラストは大急ぎで乾かされ、ボール紙に貼り付けられて巻かれた。包みは封蝋で封をされ車掌に手渡された」


トルストイがアスタポヴォの駅長の家で1910年に死去した際には、父レオニードは電報を受け、息子のボリスを連れて直ちにそこに向かいトルストイの死に際の様子をスケッチしたという。





パステルナークのダーチャ(別荘)。1936年から没年の1960年まで暮らした。



パステルナークは1946年から1950年の連続5回ノーベル文学賞候補にノミネートされ、1958年には受賞したが、亡命を余儀なくされると考え、「母国を去ることは死に等しい」と、受賞を辞退した。ついには没後の1988年にノーベル委員会が一方的に賞を贈り、遺族がこれを受取っている。










Boris Leonidovich Pasternak (10 February 1890 – 30 May 1960) was a Russian poet, novelist, and literary translator. In his native Russian, Pasternak's first book of poems, My Sister, Life (1917), is one of the most influential collections ever published in the Russian language. Pasternak's translations of stage plays by Goethe, Schiller, Calderon and Shakespeare remain very popular with Russian audiences.


Outside Russia, Pasternak is best known as the author of Doctor Zhivago (1957), a novel which takes place between the Russian Revolution of 1905 and the First World War. Due to the novel's independent-minded stance on the socialist state, Doctor Zhivago was rejected for publication in the USSR. At the instigation of Giangiacomo Feltrinelli, Doctor Zhivago was smuggled to Milan and published in 1957. Pasternak was awarded the Nobel Prize for Literature in 1958, an event which both humiliated and enraged the Communist Party of the Soviet Union, which forced him to decline the prize, though his descendants were later to accept it in his name in 1988.

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