2016年2月5日金曜日

5 カール14世、平民から王位に♪

1818年2月5日 、フランスの軍人ベルナドットが、カール14世ヨハンとしてスウェーデン王に即位した♪






ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドットは、フランスの平民出身だった。フランス軍時代に抜群の戦歴で異例の出世を遂げ、ナポレオンのライバルと目された。また「規律の無い軍隊は勝利を活かせない」を信条とし、部下の兵が略奪や暴行を行うことを厳格に禁じた







バルナドットの生家



そもそも1809年、スウェーデンはロシアに敗北後、クーデターによって国王の叔父カール13世を王位につけたものの高齢で後継の王太子がいなかった。遠縁のロシア皇帝の従兄弟オルデンブルク公を候補としたが、決定する前にフランス皇帝ナポレオンの意向を伺おうと使者をパリに遣わした。



使者の一人メルネル中尉は、近い将来フランスとロシアは開戦すると見て、フランス側につくにはロシア系後継者は望ましくないと考えた。パリに到着したメルネルは独断で(笑 ベルナドットと面会し、候補者にすることを持ちかけた♪



スウェーデンに帰国したメルネルは独断専行した科で地方に飛ばされたが、彼の計画は軍部を中心に支持者を集めていった。とりわけメルネルの従兄弟メルネル伯爵ら捕虜時代ベルナドットに厚遇された軍人たちが議会で盛んにキャンペーンを張り支持者を集めていった



スウェーデンに出立する前、ベルナドットはフランス国籍からの解放証書を得ようとした。ナポレオンは証書に「決してフランスに武器を向けない」との一文を入れようとしたが、ベルナドットは一国の王位継承者として自身を他国に隷従させる如何なる取り決めも受け入れることは出来ないと抗議した。ベルナドットは「陛下、私に王冠を拒絶させることで、ご自身を上回る人間にしたいのですか?」と言った。ナポレオンは「ならば行け! 各々の運命を完遂しようじゃないか」と返答したという(笑



こうしてベルナドットは、スウェーデンで国王ならびに王妃と初対面を果たす。国王夫妻は当初ベルナドットを王太子とすることを渋っていたが、会ってみてすぐさま魅了された。カール13世は「これは大変危険な賭けだった。だが私は賭けに勝ったのだ」と回想している♪



1810年、ベルナドットはカール・ヨハンと改名し摂政王太子として国政を行う。二年後、フランスがスウェーデン領へ侵略した時、カール・ヨハンはロシア、イギリスと同盟を結んでナポレオンに対抗し、連合国軍総司令官となってライプツィヒの戦いでナポレオンに決定的な勝利を収める♪



即位式


1818年、カール13世の死去によって、カール・ヨハンはスウェーデン=ノルウェー連合王国の王位につく。政策は、武装中立、高福祉、高教育など現代まで続くスウェーデンの近代化の礎となった♪



その後、フランス・ボナパルト朝、フランス・ブルボン朝、ロシア・ロマノフ朝、オーストリア・ハプスブルク家、プロイセン・ホーエンツォレルン家などが「君主」としての地位を失っていったかたわらでスウェーデン・ベルナドッテ朝は「200年間、同一家系で継承され、戦争も革命も経験せず、独立した国の自由民の上に君臨してきた世界唯一の王朝」として今日まで存続している♪



ハリウッドで映画化されてもおかしくない傑出した人物による劇的なサクセスストーリーである(笑











Charles XIV & III John, also Carl John, Swedish and Norwegian: Karl Johan (26 January 1763 – 8 March 1844) was King of Sweden (as Charles XIV John) and King of Norway (as Charles III John) from 5 February  1818 until his death and served as de facto regent and head of state from 1810 to 1818. When he became Swedish royalty, he had also been the Sovereign Prince of Pontecorvo in Central-Southern Italy from 1806 until 1810 (title established on June 5, 1806 by Napoleon), but then stopped using that title.


He was born Jean Bernadotte and subsequently had acquired the full name of Jean-Baptiste Jules Bernadotte by the time Carl also was added upon his Swedish adoption in 1810. He did not use Bernadotte in Sweden but founded the royal dynasty there by that name.

French by birth, Bernadotte served a long career in the French Army. He was appointed as a Marshal of France by Napoleon I, though the two had a turbulent relationship. His service to France ended in 1810, when he was elected the heir-presumptive to the Swedish throne because the Swedish royal family was dying out with King Charles XIII. Baron Carl Otto Mörner (22 May 1781 – 17 August 1868), a Swedish courtier and obscure member of the Riksdag of the Estates, advocated for the succession.

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