1802年2月26日は、「レ・ミゼラブル」の文豪ユゴーの生まれた日♪
ヴィクトル=マリー・ユゴーは、ナポレオン軍の軍人ジョゼフ・レオポール・シジスベール・ユゴーとソフィー=フランソワーズ・トレビュシェの三男として、父の任地、東部のブザンソンで生まれた。
生後6週間目に一家はマルセイユへ転居。以降、コルシカ島、エルバ島、パリ、ナポリ、マドリード、と母親とともに転々とする。ナポレオン派の父と、王党派の母の確執からだった。ひ弱な体質と長きにわたる父親不在で、強いマザーコンプレックスだったという。
17歳でアカデミーの詩のコンクールで一位を取り、詩集も発行、1822年「オードと雑詠集」が評価され、国王から年金をもらえることになり、1825年にはわずか23歳でレジオンドヌール勲章をも受ける♪
しかし1843〜1852年の約10年間、1冊も出版していない。フランス文学史上屈指の名作「レ・ミゼラブル(あゝ無情)」にとりかかっていたからである。1862年に政治亡命先のベルギーより出版され、大反響を巻き起こした。
「レ・ミゼラブル」が出版された際、旅行中だったユゴーは売れ行きが心配で、出版社に一文字「?」とだけ書いた手紙を送った。すると出版社から「!」と書かれた返信が届いたという(笑 これが世界でもっとも短い手紙のやりとりといわれている♪
An apocryphal tale about the shortest correspondence in history is said to have been between Hugo and his publisher Hurst and Blackett in 1862. Hugo was on vacation when Les Misérables was published. He queried the reaction to the work by sending a single-character telegram to his publisher, asking ?. The publisher replied with a single ! to indicate its success.
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