1836年10月5日は、榎本武揚の生まれた日♪
榎本武揚は、幕臣の次男として生まれ、昌平坂学問所、海軍伝習所で学んだ後、オランダ留学とかなりのエリート。七ヶ国語も話せたんだ! さまざまな国をめぐり、日本の未来に役立てようと機械学から最新化学までありとあらゆることを習得した。
だけど帰国したら、徳川慶喜が大政奉還し、さらに薩長が倒幕をかかげてきたので、戊辰戦争で旧幕府軍を率いることになった。結局敗北し、降伏、2年半投獄された。牢の中から兄に、生活の糧になるように、ロウソクや石けんの作り方を手紙で書き送ったりしてた(笑
しかし、榎本の才能を惜しんだ人々の助命嘆願が相次ぎ、釈放された。その後は明治政府に仕え、多方面で活躍したんだ。
逓信大臣のときに、郵便マークを決めたといわれているんだ♪ 1887年、「今より(T)字形を以って本省全般の徽章とす」と告示したんだけど、万国共通の料金不足の記号「T」と紛らわしいため、榎本が「Tに棒を一本加えて「〒」にしたらどうだ」と提案したらしい。これは郵便記号誕生に関する諸説のうちのひとつだけどね♪
Viscount Enomoto Takeaki ( 5 October 1836 – 26 October 1908) was a samurai and admiral of the Tokugawa navy of Bakumatsu-period Japan, who remained faithful to the Tokugawa shogunate who fought against the new Meiji government until the end of the Boshin War. He later served in the Meiji government as one of the founders of the Imperial Japanese Navy.
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