1936年12月11日に、英国王エドワード八世が退位した。
英国の国王、エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッドは、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソン↓ と結婚するために在任期間わずか325日で退位し、退位後は称号「ウィンザー公」となった。
父王のジョージ5世は、生前この恋愛問題に頭を悩ませ、「自分が死ねば、1年以内にエドワードは破滅するだろう」と言い残した。奇しくも在位期間は325日間だった。
これは「世紀の恋」などと世界中を騒がせ、後にハリウッド映画にまでなった。もっとも、この時急に国王になったジョージ六世も「英国王のスピーチ」として映画化された。
ウィンザー公は当初、フランスで数年「亡命生活」を過ごした後、イギリスに帰国するつもりだった。しかし夫妻が、開戦前のドイツを訪問、ナチスと親しく交流するなど、政治的に問題があったため、国王ジョージ六世が「許可を得ずに帰国すれば、王室からの手当を打ち切る」などと強硬に出ざるおえなかった。
戦時中は、さすがにヨーロッパから遠ざかりバハマ領事などつとめたが、晩年はフランスに滞在し、その地で客死した。夫妻とも葬儀はイギリスで行われ王室墓地に埋葬された。夫人の夥しい宝石類などを含む莫大な遺産は、遺言で全てパスツール研究所に寄付された。
ウォリスとの結婚や退位について、「もし時計の針を元に戻せても、私は同じ道を選んだでしょう」として、一度も後悔は表明しなかったが、テレビインタビュアーがこの件についてしつこく質問してきた際に、露骨な不快感を示す一幕もあったという。
ウォリスとの結婚や退位について、「もし時計の針を元に戻せても、私は同じ道を選んだでしょう」として、一度も後悔は表明しなかったが、テレビインタビュアーがこの件についてしつこく質問してきた際に、露骨な不快感を示す一幕もあったという。
ちなみに、夫妻が所有していたパリ郊外の邸宅は、富豪アルファイド氏が購入し、その子息とともに故ダイアナ妃が滞在したことがあり、事故後は売りに出されたという。
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