2016年5月13日金曜日

13 戦うなかれ、汝結婚せよ♪

1717年5月13日は、オーストリア大公で、ハプスブルク家の「女帝」マリア・テレジア の生まれた日♪




マリア・テレジアは、神聖ローマ皇帝カール6世と皇后エリーザベトの長女として誕生した。両親は遥かヨルダン川の水で洗礼を受けさせたり、マリアツェル教会に黄金の子供像を奉納したりと溺愛した♪




この時代の貴族には珍しく恋愛結婚をしたが、16人もの子供を産み育て、君主としても有能で、戦争と和平に明け暮れながらも40年間も統治した♪


また、諸外国との同盟のために、フランス革命で落命したマリー・アントワネットをはじめ、スペイン、ロシアなど、自分の娘をどんどん各国の王室へ嫁がせた♪



それを揶揄する戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ。」という有名な格言ができた♪ この格言の「オーストリア」は、統治者だったハプスブルク家を示す。格言の基はオイディウスの叙事詩 ↓ にある♪


トロイア戦争に登場する英雄プローテシラーオスは、敵地上陸の一番乗りを果たすが敵に襲われて殺されてしまう。未亡人となった妻ラーオダメイアは、神々の特別の計らいにより、3時間だけ現世に帰還した亡夫と過ごすことを許される。しかし約束の時間が過ぎて夫が消え去るとラーオダメイアも剣で胸を突き刺して絶命し、2人は死後の世界で再び一緒になった。


オイディウスはプローテシラーオスを一時的に生き返らせる神々の決定を以下のように簡潔に表現している。


ラテン語  
Bella gerant alii, Protesilaos amet.  

日本語 戦いは他のものに任せよ、プローテシラーオスよ恋をせよ。




皇帝夫妻とヨーゼフ王太子 1747年


マリア・テレジアは6歳の時、9歳年上のステファンに一目惚れし、初恋を実らせて結婚した♪ この最愛の夫亡き後はドレスと宝石を全て女官たちにあげてしまい、黒の喪服姿で生涯をすごしたという。








Maria Theresa Walburga Amalia Christina(13 May 1717 – 29 November 1780) was the only female ruler of the Habsburg dominions and the last of the House of Habsburg. She was the sovereign of Austria, Hungary, Croatia, Bohemia, Transylvania, Mantua, Milan, Lodomeria and Galicia, the Austrian Netherlands and Parma. By marriage, she was Duchess of Lorraine, Grand Duchess of Tuscany and Holy Roman Empress.

She started her 40-year reign when her father, Emperor Charles VI, died in October 1740. Charles VI paved the way for her accession with the Pragmatic Sanction of 1713 and spent his entire reign securing it. Upon the death of her father, Saxony, Prussia, Bavaria, and France all repudiated the sanction they had recognised during his lifetime. Prussia proceeded to invade the affluent Habsburg province of Silesia, sparking a nine-year conflict known as the War of the Austrian Succession, and subsequently conquered it. Maria Theresa would later unsuccessfully try to reconquer Silesia during the Seven Years' War.

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