2015年12月18日金曜日

18 女性作曲家オルメス♪

1847年12月18日は、女性作曲家オルメスの生まれた日♪



 ルノアール画「ピアノの前のマンデスの娘たち」1888年↓ マンデスとオルメスの娘たち



女性作曲家の先駆者、オーギュスタ・オルメスは未婚のまま詩人マンデスとの間に5人の子供をもうけた。娘たちは、親交のあったルノアールの絵のモデルをつとめたんだ♪



ルノアール画「草束をもつ少女」1888年↓
同じ頃の作品なのでこの少女もオルメスの娘かな?



オルメスは19世紀フランスの女性作曲家の先駆者だった。早期から楽才を示していたんだけど、パリ音楽院に女性の入学は許可されていなかったし、母親が強く反対していたので、母の没後に個人教授についてピアノや音楽理論を学んだ。リストに作品を見せて激励されたりもしている。女性が芸術家になるのは「はしたない」時代なので、当初は偽名で作品を発表していた♪




サン=サーンスは音楽雑誌に、「女は子供と同じで、障害物をものともせず、その意志力はあらゆる障壁をぶち破る。マドモワゼル・オルメスは女性である。それも過激な。」と寄稿している(笑


ドビュッシーは音楽評論においてオルメスの訃報をとりあげ、その作品を「健康な音楽である」と評した♪













Augusta (Mary Anne) Holmès (18 December 1847 – 28 January 1903) was a French composer of Irish descent (her father was from Youghal, Co. Cork). At first she published under the pseudonym Hermann Zenta. In 1871, Holmès became a French citizen and added the accent to her last name. She herself wrote the lyrics to almost all her songs and oratorios, as well as the libretto of the opera La Montagne Noire.

2015年12月17日木曜日

17 人類初飛行!ライト兄弟♪

1903年12月17日、世界で初めて有人動力飛行に成功した♪




ウィルバー・ライト10才  オーヴィル・ライト6才




ライト兄弟は、飛行機の発明者で世界初の飛行機パイロット。自転車屋をしながら兄弟で研究を続け、1903年にライトフライヤー号有人動力飛行に成功したんだ♪




       ↑ 初飛行、写真は観客の一人、ジョン・T・ダニエルズが撮った



実験は成功したんだけど、アメリカ国内ではこれを信用をしないばかりか、こぞって反発した。


倉庫にひっそりと置かれていたライトフライヤー号を、ロンドンの科学博物館が展示したいと依頼、オーヴィルはこれを受諾。1928年ライトフライヤー号はイギリスに渡った。


イギリス旅行したアメリカ人は「何故ライトフライヤー号がここにあるんだ?」と驚いた。当時スミソニアン会長だったチャールズ・アボットは、ライトフライヤー号をアメリカに戻すよう要請した。それに対するオーヴィルの条件はただ「歴史を正しく修正する」ことだった。


1942年ついにスミソニアン協会は声明を発表。ライト兄弟の偉業を認め、かっての誹謗を公式に謝罪した。


その後、第二次世界大戦の混乱もあり、ライトフライヤー号がワシントン国立博物館に展示されたのは、初飛行から45年経った1948年12月17日だった。盛大な除幕式が行われたんだけど、オーヴィルは同年1月に76歳で死去していたため参加することはなかったんだ。










The Wright brothers, Orville (August 19, 1871 – January 30, 1948) and Wilbur (April 16, 1867 – May 30, 1912), were two American brothers, inventors, and aviation pioneers who are credited[1][2][3] with inventing and building the world's first successful airplane and making the first controlled, powered and sustained heavier-than-air human flight, on December 17, 1903. From 1905 to 1907, the brothers developed their flying machine into the first practical fixed-wing aircraft. Although not the first to build and fly experimental aircraft, the Wright brothers were the first to invent aircraft controls that made fixed-wing powered flight possible.

2015年12月16日水曜日

16 ベートーヴェン誕生♪

1770年12月16日頃、ベートーベン誕生♪ 17日に幼児洗礼を受けた記録が残っているので、洗礼当日生まれたとは考えづらいので「それ以前」となっているんだって(笑



             ↓ 13才 祖父と父は宮廷歌手だった




弟子のツェルニーは初めてルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに会った時、「黒い髪の毛が頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いた。



ベートーヴェンは師ハイドンから、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねたんだ(笑



パトロンのリヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送った(笑





ある時、ゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア大公一行と遭遇した際、ゲーテは脱帽・最敬礼をしたのに、ベートーヴェンは平然と行列を横切り、大公らの挨拶を受けた。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不覊奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評したんだ。


でも耳が悪いから、あたりに注意を払わず、大公が誰だかも気がつかなかったんじゃないかな(笑


作曲に夢中になって無帽で歩きまわってて、浮浪者と間違われて逮捕され、ウィーン市長に謝罪されるという珍事も起こしてるしね♪
















Ludwig van Beethoven ( 16 December 1770 – 26 March 1827) was a German composer and pianist. A crucial figure in the transition between the Classical and Romantic eras in Western art music, he remains one of the most famous and influential of all composers. His best-known compositions include 9 symphonies, 5 piano concertos, 1 violin concerto, 32 piano sonatas, 16 string quartets, his great Mass the Missa solemnis and an opera, Fidelio.

Born in Bonn, then the capital of the Electorate of Cologne and part of the Holy Roman Empire, Beethoven displayed his musical talents at an early age and was taught by his father Johann van Beethoven and by composer and conductor Christian Gottlob Neefe. At the age of 21 he moved to Vienna and began studying with Joseph Haydn, quickly gaining a reputation as a virtuoso pianist. He lived in Vienna until his death. By his 30s his hearing began to deteriorate, and by the last decade of his life he was almost totally deaf. In 1811 he gave up conducting and performing in public but continued to compose; many of his most admired works come from these last 15 years of his life.

2015年12月15日火曜日

15 パリの象徴エッフェル塔♪

1832年12月15日は、エッフェル塔を提案したエッフェルの生まれた日♪







アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルは、フランスの技師、構造家、建設業者。エッフェルはコンテストへのプラン提出責任者、その建設を受託したエッフェル社の代表だ♪



家系はドイツ系アルザス人。もともとの家業はフランス革命で姿を消した王室室内装飾業で、10歳の時、一人で教会と風車のあるジオラマを造り、その見事さで人々を驚かせたんだって♪





1884年に、タルド河の高架橋を建設中に倒壊してしまう大事故を起こした。その後、工事に当たっては安全管理に深く心を配るようになり、エッフェル塔の工事は1人の犠牲者も出さなかったんだ♪



1887年から1889年にかけて、革命百周年記念となるパリ万国博覧会のモニュメントとして、鉄骨による巨大な塔をセーヌ河畔に建設することになって、公募でデザインを募り、エッフェル塔が選ばれたんだ。伝統ある芸術の都パリに醜い鉄の塔を建築するなんて、と、当時は賛否両論だった。百年を経過した現在ではパリを代表するシンボルとなっている♪






ちなみに、エッフェル塔の強弁な建設反対派だった文学者モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランに足しげく通っていた。理由を訊かれて「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だからさ」と応えたとか(笑















Alexandre Gustave Eiffel (15 December 1832 – 27 December 1923) was a French civil engineer and architect. A graduate of the prestigious École Centrale des Arts et Manufactures of France, he made his name with various bridges for the French railway network, most famously the Garabit viaduct. He is best known for the world-famous Eiffel Tower, built for the 1889 Universal Exposition in Paris, and his contribution to building the Statue of Liberty in New York. After his retirement from engineering, Eiffel concentrated his energy on research into meteorology and aerodynamics, making important contributions in both fields.

2015年12月14日月曜日

14 南極到達!アムンセン隊♪

1911年12月14日に、アムンセン隊が南極到達に成功♪





ロアール・アムンセンは、ノルウェーの探検家。人類史上初めて、南極点への到達に成功したんだ。また、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に、両極点への到達を果たした人物となった。



アムンセンの母は幼少時、彼が医師になることを望んだんだけど、母が没すると大学を中途でやめて、夢だった船乗りになった。その後、探検船ベルギカ号の航海士となり、期せずして南極海で流氷に閉じ込められ越冬する。この経験が、その後の探検家として多いに役立ったんだ♪



1911年10月、アムンセン隊は、犬ぞりを連ねて南極横断を開始する。好天にも恵まれて、人類初の南極点到達を果たし、帰路も順調で、1912年1月25日に一人の犠牲者も出すことなく帰還できたんだ。



↓ 1911年12月15日南極にて


当初、イギリスのスコット隊に比べて不利と思われていたアムンセン隊が成功したのは、スコット隊が重装備の雪上車や、雪に不向きな馬、牛革の防寒服(耐水性に劣る)を採用していたのに対し、アムンセン隊は、体重が軽い犬を利用し、軽量化を施した犬ぞりや、耐水性に優れたアザラシの毛皮を着用したんだ♪


           ↓ アザラシの毛皮を着たアムンセン



アムンセンのあとに南極に到達したスコット隊は、残念ながら生還できなかったんだ。その健闘を称えて、南極点にある恒久的科学観測基地は、「アムンゼン・スコット基地」と名付けられているんだ♪












Roald Engelbregt Gravning Amundsen (16 July 1872 – c. 18 June 1928) was a Norwegian explorer of polar regions. He led the Antarctic expedition of 1910–12 which was the first to reach the South Pole, on 14 December 1911. In 1926, he was the first expedition leader for the air expedition to the North Pole.

Amundsen is recognized as the first person, without dispute, as having reached both poles. He is also known as having the first expedition to traverse the Northwest Passage (1903–06) in the Arctic.


2015年12月13日日曜日

13 「兼高かおる世界の旅」放送♪

1959年12月13日は、「兼高かおる世界の旅」初放送の日♪ 




1990年まで30年10か月続き、主に日曜日朝に放送された紀行番組。2007年から再放送もされたんだ。



ジャーナリストの兼高かおる(本名:兼高ローズ)さんがディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、時にはカメラマンを兼ね、世界各地、なんと160か国もの取材映像を放送した。





「アジアのパリ(ホーチミンシティ)」「中東のパリ(ベイルート)」「南米のパリ(ブエノスアイレス)」など、美しい街に「○○のパリ」と付けて紹介したりしていた♪


兼高さんは、ミクロネシアのマーシャル諸島に自分の島(カオル・エネ)を持ってるんだって。これは観光化がブームとなったときに現地の大酋長の相談に乗ったお礼としてもらったんだ。ちなみに、カオルとは現地の言葉で「美しい」という意味なんだって♪



世界各地どこに行ってもとけこんで、異国の文化を尊重しながら「ございますのよ」と、上品な口調でレポートされたこの番組は、その後訪れる海外旅行ブームの先駆けとなったんだヨ♪




















2015年12月12日土曜日

12 「叫び」の画家ムンク♪

1863年12月12日は、「叫び」の画家ムンクの生まれた日♪



エドヴァルド・ムンクは、ノルウェーの国民的な画家で、現行のノルウェー紙幣にも肖像が描かれている。



画家になりたいという希望を持っていたんだけど、父の反対に遭い、いったんは工業学校に通うんだ。しかし、リューマチ熱のため1880年11月8日、退学した。その日、彼は日記に「僕の運命は今や――まさに画家になることだ」と書いたんだ♪




ちなみに、ムンクは45歳のときに自ら精神病院に入院し、アルコール依存症を治して翌年退院した。退院後の春には油絵100点、版画200点の大ムンク展を開催。ノルウェー国立美術館が油絵5点を買い上げ、著名コレクターがムンクの作品を多量に購入するなど、ムンクの評価が確立した。


1940年4月9日、ドイツがノルウェーに侵攻すると、ムンクはアトリエに引きこもった。1943年12月、近所でレジスタンスによる破壊工作があり、自宅の窓ガラスが爆発で吹き飛ばされた。凍える夜気に彼は気管支炎を起こして亡くなった。戦争が終結したのは、亡くなった翌年の1945年だった。


気に入った作品は売らずに手元に残しており、遺言によって、その全作品がオスロ市に寄贈された。このため作品は散逸せずに、オスロ市立ムンク美術館に収蔵されているんだ♪


「叫び」は、ある日ムンクが、フィヨルド(北欧の切り立った峡谷が連なる海岸線)の近くを歩いているときに「自然をつらぬく、けたたましい、終わりのない叫びを聞いた」と言っており、その経験を絵画化したものなんだ。だから、この絵は「男が叫んでいる」絵じゃなくて「男が大自然の叫びに耐えかねて耳を塞いでいる」絵なんだヨ♪















Edvard Munch (12 December 1863 – 23 January 1944) was a Norwegian painter and printmaker whose intensely evocative treatment of psychological themes built upon some of the main tenets of late 19th-century Symbolism and greatly influenced German Expressionism in the early 20th century. One of his most well-known works is The Scream of 1893.