1538年3月25日、天文学者クラヴィウス生まれる♪
クリストファー・クラヴィウスは、ドイツのバンベルク生まれ。1555年にイエズス会に入会し、やがてローマ学院(現グレゴリアン大学)の数学教授に任命される♪
当時、ユリウス暦と実際の季節とのずれが問題となっていて改暦委員会がつくられ、その中心人物がクラヴィウスだった。新しい暦は夭折したアロイシウス・リリウスが考え死後、弟であるアントニウスが改暦委員会に提案した♪
この新しい暦は、1582年に教皇グレゴリウス13世の正式な認可を受け、グレゴリオ暦と名付けられた。現在では世界中で西暦として、グレゴリオ暦が採用されている♪
クラヴィウスは、地動説には十分な根拠がないとして否定的だったが、天動説の矛盾点も認識していた。若きガリレオ・ガリレイとも親交があり、ガリレオをピサ大学の教授職に推薦している♪
ガリレオが望遠鏡をたずさえてクラヴィウスを訪ね、天体観測における自分の発見について説明すると、クラヴィウスはその説が理にかなっており、正しいことを認めている♪ ただクラヴィウスは月面がきれいな平面であると考えていたため、ガリレオの「月の陰影は山脈やクレーターによる凹凸である」という説明には納得がいかなかったらしい♪
後にクラヴィウスの名前は月のクレーターに冠された(笑 ↓「クラヴィウス」は南緯58度、西経14度に位置し、直径は232キロもの巨大なクレーターである♪
Christopher Clavius (25 March 1538 – 3 February 1612) was a German Jesuit mathematician and astronomer who modified the proposal of the modern Gregorian calendar after the death of its primary author, Aloysius Lilius. Clavius would later write defences and an explanation of the reformed calendar, including an emphatic acknowledgement of Lilio's work. In his last years he was probably the most respected astronomer in Europe and his textbooks were used for astronomical education for over fifty years in and even out of Europe.
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