2016年1月31日日曜日

31 友に恵まれたシューベルト♪

1797年1月31日に、オーストリアの作曲家「歌曲の王」と呼ばれるシューベルト生まれる♪





フランツ・ペーター・シューベルトはウィーン郊外で生まれた。父テオドールはアマチュア音楽家で息子たちに演奏を教えた。シューベルトは7歳頃から神童ぶりを発揮しはじめ、教会の聖歌隊はその才能に一目おき、教会のピアノ倉庫で自由に練習させてくれた。ここで貧しい家庭では手の届かない上質な楽器で練習することができた♪



1808年10月、シューベルトは寄宿制神学校の奨学金を得た。アントニオ・サリエリの指導の下、ウィーン少年合唱団の前身校だった。シューベルトはおよそ17歳の変声期までここに所属した♪ 休日ごとに自宅では、彼の作曲による演奏会が行われ、2人の兄がヴァイオリン、父がチェロ、彼はヴィオラを受け持った。多数の友人達が自分のこずかいで五線紙を買って与え、貧しいシューベルトを助けた。



その後、生活のために教師になるも、彼の才能を賞賛する友達のコミュニティ的な援助により、作曲に没頭する生活が送れるようになった。また定期的にシューベルトの音楽をみんなで楽しむ「シューベルティアーゼ」という音楽会が開かれ、多くの作品がここで発表されたんだ♪


一説にはシューベルトは非常に貧しかったとあるが、今日残されている肖像画の完成度からも、そこまで困窮した生活ではなかったと思われる。当時から「音楽の都」とされるウィーンでも、ベートーベンはドイツ、モーツアルトは遠いザルツブルグ出身で、ウィーン生まれのシューベルトはウィーン子の誇りだった♪ 友人達が集まって各自できることからサポートしていたコミュニティの結束は堅かったという♪





ウィーン中央墓地、ベートーベンとシューベルトの墓碑の前にモーツアルト記念碑





シューベルトはモーツアルトをこよなく愛したが、ベートーヴェンには畏怖にもにた深い崇拝を示していた。1827年に楽譜を見せ、「この音楽には神聖な火がある」と言われて感激している。1827年3月26日、ベートーヴェンが死去、シューベルトは葬儀に参列した後酒場に行き、「この中で最も早く死ぬ奴に乾杯!」と音頭をとった。友人たちは一様にぞっとしたと言う。彼の寿命は翌年尽きた。まだ31歳9ヶ月の若さだった。


シューベルトは遺言どおりヴェーリング墓地のベートーヴェンの墓の隣に埋葬された。両方とも1888年にウィーン中央墓地に移されたが、ヴェーリング墓地跡のシューベルト公園には当時の二人の墓石が残っている。













Franz Peter Schubert ( 31 January 1797 – 19 November 1828) was an Austrian composer. Schubert died before his 32nd birthday, but was extremely prolific during his lifetime. His output consists of over six hundred secular vocal works (mainly Lieder), seven complete symphonies, sacred music, operas, incidental music and a large body of chamber and piano music. Appreciation of his music while he was alive was limited to a relatively small circle of admirers in Vienna, but interest in his work increased significantly in the decades following his death. Felix Mendelssohn, Robert Schumann, Franz Liszt, Johannes Brahms and other 19th-century composers discovered and championed his works. Today, Schubert is ranked among the greatest composers of the late Classical and early Romantic eras and is one of the most frequently performed composers of the early nineteenth century.


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